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私が開院した理由
治療家になろうと思った理由、それは…
学生時代にサッカーで膝の痛みに苦しんだ経験から、痛みに苦しむ人をサポートしたい、人の役に立つ仕事がしたいと強く感じたからです。
順調だったサラリーマン時代
大学卒業後、食品メーカーの営業として4年が経った頃でした。そのころには営業職として仕事をしていくことに自信が持てるようになってきていました。だんだんと責任のある仕事を任されるようになり、それに応じて会社全体の売上のことも考えるようになっていきました。
それは自分が一人前の社会人として成長してきた証しであり、大変喜ばしいことでもありました。
仕事に対して違和感が
しかし毎月月末になると、目先の売上だけのために上司から無茶な売り方を指示されることが何度も続きました。そうなると、自分ではお客さまに喜んでもらえるようにと思っていても、会社の利益のためだけに仕事をしているような状況となり、お客さまに心から喜んでもらえているとは徐々に思えなくなってきました。
このころから私は会社の売上至上主義に違和感を持ち始めます。
何のために仕事をするのか?
営業の仕事は多くの人と出会え、私を成長させてくれました。お客さまと会うのが楽しくて、本気で天職だと思っていました。
しかしそのころから、仕事において本当に大切なのは、売上の数字を上げることではなく、お客さまに喜んでいただくことなのではないのか、
「もっと人に喜んでいただけるような仕事がしたい」
直接人に関わって、その人の役に立ち、喜んでもらえること、
自分にできる仕事は何かと探し始めたのです。
確信、そして決意へ
しばらくして、高校卒業時の進路の選択肢の一つであった鍼灸大学のことを思い出しました。父の友人が鍼灸整骨院をされていたため、いい仕事だと父からよく話を聞かされていたのです。
私は小さい頃からずっとスポーツをしていたのでよくケガをしました。そんなときは近くの整骨院で良くしてもらったことが何度もありました。それを思い出したとき、『探していた仕事はこれだ』と確信しました。
それから1年間は仕事をしながらお金を貯め、整骨院の業界のことを徹底的に調べました。調べれば調べるほどますます整骨院での仕事が魅力的にみえ、挑戦したいという気持ちがどんどんと大きくなっていきました。
柔道整復師を目指すことに
そして1年後、会社を退職。ついに柔道整復師を目指すことになったのです。
かといってすぐに専門学校に入れたわけではなく、当時の専門学校の柔整科は定員が少なかったため、なかなか入ることができない狭き門でした。そのためアルバイトをしながら猛勉強を続け、ようやく1年後に合格。
晴れて柔道整復師としてのスタートラインに立つことができたのです。
仕事・学校・結婚、そして開院へ
それから国家試験を受けるまでの3年間は、整骨院に勤めながら学校に通うという忙しい日々を過ごしました。特に仕事が夜中までかかる日と学校の試験が重なった時には、ほとんど寝る時間が取れず本当に大変でした。
また、学校に通っている間に結婚したため、妻には大変な苦労をかけました。自分が貰っている給料はほとんどが学校の授業料にまわり、妻の給料だけで生活しているような状態でした。このときの妻の協力がなければこの仕事を続けていくことはできなかったでしょう。
私が猛勉強を続け、多くの技術を習得し、在学3年間で開院できるまでになれたのも多くの人の役に立つため、そして、妻のため、だったのです。
開院後の波乱万丈ストーリー
当院は、おかげさまで2001年の開院以来、のべ20万人以上の患者さまにお越しいただいております。しかし、すべてが順風満帆というわけではありませんでした。
開院当初は「みなさまに喜んでいただきたい」「みなさんの役に立ちたい」 という想いで一生懸命仕事に取り組みました。すると、ほんとに多くの方が喜んでくださり、私は「天職を得た」と思って喜んで仕事をしました。順調に患者さまが増え続けました。最初はすべて一人でやっていましたが、だんだんと忙しくなるとともに、患者さまを長時間待たすことも増えてきました。
そこで、スタッフを雇うことになりました。
スタッフを雇ったことで意識に変化が・・・
スタッフが一人、二人と増えていくごとに、院の売上も徐々に大きくなっていきました。
スタッフが増えてくると、スタッフ一人ひとりのモチベーションを保つために
『売上UP = 給料UP』
を意識させるように指導していきました。
そういう指導をしていると、知らず知らずのうちに自分自身も売上だけが目標になっていきました。それ以降、一生懸命施術しているものの、人数をこなすこと、待たさずにうまく回すことなど効率を重視し、売上を上げることだけが目標となってしまい、本当にしなければならないことを見失ってしまいました。
患者さんが徐々に減り始める
すると、開院当初から来てくださっていた方が来なくなられました。
それでも気付かず、ビジネス本を読み漁り、目先のテクニックばかりを勉強しました。また、多種多様な経営セミナーに参加し、コンサルタントに依頼したこともありました。そうすると少しは上向くものの長続きせず、しばらくすると元の状態に戻ってしまいます。
「こんなにもいろいろ勉強し、実践しているのになんで売上が伸びないんだろう?」
寝不足、高血圧、そして…
そのころから、売上のことばかり考えながら夜遅くまで仕事をし、寝不足のまま次の日を迎えることが多くなっていました。お酒の量も増え、病院で高血圧を指摘されるようになりました。
2012年8月9日、午前の施術が終わってあとかたづけをしているとき、足がもつれ、まともに歩けなくなりました。
脳出血でした。
幸い大事には至らず、3週間の入院でなんとか回復しましたが、左半身の感覚異常という後遺症が残ってしまいました。
元々、血圧は高めでしたが、明らかに売上に対するストレスが原因でした。
大企業の不祥事のニュースを見て
仕事再開後は自然と「売上」や「利益」を追わないようにしていました。
そしてある日、老舗大企業の不祥事のニュースを見ていたときのこと。
「なんでこんな大きな会社がこんなしょーもないことするんかな」となんとなく考えていると、そこには共通して「売上」や「利益」などが絡み、必ず「お金」が目的になっていることに気がつきました。
そのとき、「売上」や「利益」を仕事の目的にしていて、「本当にするべき正しい努力をしていないから売上が上がらない」ということに気が付いたんです。
私がこの仕事を選んだのは、売上のためでも利益のためでもなく、「人の役に立つこと」「喜んでもらうこと」だったはずでした。
あれだけ人の役に立ちたかったのに…
あれだけお客さまに喜ばれる仕事がしかったのに…
このとき、この仕事を選んだ時の「初心」を思い出したのです。
初心と同じ気持ちで
仕事とは、
・人助け
・人の役に立つこと
・喜んでもらうことをすること
であり、売上はその対価である。
「喜んでくれる人が増えれば売上は上がる」ということが解りました。
それから再び、「喜んでもらうことをする」を胸に施術をし始めました。そうすると、毎日がすごく楽しいんです。
「売上」や「利益」にこだわっていたときは、毎日眉間にしわを寄せ、施術をしていたように思います。
再び、開院当初と同じように楽しみながら施術ができるようになりました。
実際にこの感覚を体感して、改めて「多くの人に喜んでもらうために、真摯に取り組むこと」を決意しました。このような辛い体験をしたことで『一番大切なこと』に気が付くことができました。
おかげさまで現在は再び、多くの方に喜んでいただけるようになってきました。
一人でも多くの人が元気になり、世の中を明るくするための最初の動力となれるよう、これからも頑張っていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
長文お読みいただき、ありがとうございました。